私、長田たくやは参政党 川西市議選公認候補予定者 となりました。職業は薬剤師です。
大阪府堺市で生まれ、京都薬科大学院ではアレルギーの基礎研究をやっていました。
その後は臨床開発職で、医薬品の開発に従事しました。いわゆる治験というものです。
退職後、病院で就職し実臨床の現場に薬剤師として初仕事。病院を退職後は調剤薬局にて、主に高齢者施設でしたがそこに出向いて薬を管理したり、往診医と同行をする在宅業務に携わりました。
医薬品については、開発という上流から実臨床を経て、在宅(自宅)での服薬管理という下流まで一通り経験できたことは大変貴重だったと感じています。
なぜ政治に興味をもったか
一番のきっかけは、大阪市長選挙で、橋下氏VS平松市長のやり取りからです。それまでは政治に全く興味がありませんでした。あの頃はニコニコ動画が全盛期で、コメント付きで見ると単純に面白かったのです。
それをきっかけに政治や歴史について調べるとこれまで自分がまったく認識していなかった「日本」というものが見えてきました。自分は日本のことを何も知らないまま過ごしてきたな・・・と気づいたのです。
神谷宗幣氏との出会い
空母赤城のレプリカや沈んだ戦艦アリゾナに作られたアリゾナ記念館にいくことも予定されており、そこが楽しみでした。でも、もっと貴重な体験がありました。あの有名なカメハメハ大王、その末裔の方とお話する機会が得られたことでした。ハワイはアメリカ領ですが、もともとは原住民がおり、その生活や樹木を復興させようと活動されていました。その話の中で、「なぜ日本は力があるのに、他国の言いなりなのか?もっとがんばってほしい」ような主旨の発言があったと記憶しています。
なぜ参政党なのか
日本の国益を考えない政治にはウンザリしてましたし、日本を取り戻す!の安倍総理の時はかなりの期待感もありました。実際、景気を上向きに、全体的に明るい兆しがあったように思えた時に、増税・・・
覚えています。増税が決まった日は奈良県に住んでいましたが、雨がふっていて、なぜか気持ちも暗くなりました。それでもどこかで一発逆転の一手を打ってくれるんじゃないかと漫画のような展開を期待していたのです。
薬剤師として普通に仕事をしていたら普通に生活ができ、結婚や家の購入など人生イベントが続いたため、自分のことで精いっぱいでした。すると、2019年から新型コロナウィルス騒ぎが始まりました。
正直、日本では海外の状況と全く異なっており、あまり問題ならないだろうと高を括っていたのですが、1,2年と続き、人々の生活習慣だけではなく、病気に対する考え方もおかしくなってきたように感じました。でも周りの状況をみて、バタバタと人がなくなるような状況ではないと認識できれば、おのずと終わるものと思っていました。そこにワクチンが登場し、あきらかな情報操作が繰り広げられるようになりました。そしてコロナ禍が終わらない、終わることができない世の中へ変貌しました。
おかしなことが起きていると周りに話していると、そのタイミングに参政党に出会うことになりました。
あきらかに矛盾している現在のコロナ対策、それに真向勝負で切り込んでいる政党はここしかありませんでした。日本が沈んでいる中、国内のパイを取り合うような政党政治ではいけない。民主主義で選挙権という武器をもっている1人1人が、国を立て直すんだという意思を持たなければならないと強く思ったのです。